サラリーマンとして自分を押し殺して生きていく程「嫌なヤツ」になっていく

日常生活

サラリーマン=「自分を押し殺して生きること」

サラリーマン=「理不尽を我慢すること」

そんな風に考えていた時期が、私にもあった。

私がいた会社は、企業体質の腐敗した、常に殺伐とした雰囲気の職場だった。

足の引っ張り合いや、理不尽な理由で叱責されることは日常茶飯事で、

20歳の時に入社した時、最初はビックリしたが「そういうもんなんだ」と思って生きてきた。

「組織の歯車」として、割り切って生きる自分。

中堅社員になった頃には「それも悪くないな」と、思っていた。

それが「大人に成長すること」なんだと、どこか寂しさと充実感が入り混じった思いを持っていた。

「子供の頃には、いろんな夢があった。

動物のお医者さん、コックさん、お金持ち、ミュージシャン・・・・

結局、何も叶えられなかったけど、人生はそういうもんだ。

みんなどこかで夢を諦めて、大人になっていく。

むしろ、こんなダメ人間の自分からしたら、上出来な方じゃないか・・・」

そんな風に思っていた。

自分を押し殺して「表面的な調和」を優先させること。

「嫌われない」ために、自分を押し殺して相手に合わせること。

そうすれば、相手はある程度満足してくれる。

下に見られて馬鹿にされることはあっても、争いに巻き込まれることはない。

それが、サラリーマンの「処世術」だと思っていた。

自分を押し殺して生きることの「根底」にある意識
それは、

「(自分の劣等感を埋めるために)誰かから必要とされたい」
「人から必要とされないと、自分には価値がない」
という思いである。

だから自分を押し殺してまで、相手に合わせる。

自分よりも相手を優先してしまう。

どんなに理不尽な思いをさせられても、

「自分を大切にする為に闘う」という選択ができない。

「相手の気持ち」を考えられるのは、本来素晴らしいことである。

しかし、私がやっていたことは結局、

「相手を大事にするために、自分を粗末にする」という本末転倒な選択だった。

それは「自分に対する虐待」である。
虐待された人間の心に刻まれるもの。

それは、自分に対する「自己否定感」と「憎しみ」である。

「自分のことだから、自分が我慢したら済む」

多くの人がそう考える。

そうやって自分を虐め続けて、最後には「死」を選んだ人もいる。

そんな「本末転倒」ともいえる選択をする人が、年々増え続けている。

自分を虐め続けて、自分の中の「本来は純粋な心」がどんどん汚濁していくと、

やがて、次は「自分よりも立場が下の人間」「自分よりも弱い人間」に対して、

同じ事をするようになる。

人は「悪い環境」に身を置くと、

多くの場合「悪いモノ」に染まってしまう。

嫌な人間ばかりいる殺伐とした会社の空気に染まり、

気が付けば、自分自身が「嫌な奴」になっている。

「殺伐とした人間」になっている。

問題を解決する最も手っ取り早い方法は
「自分が、問題そのものになること」である。

では、どうしたらいいのか?

わからなくなった時は、

自分に問いかけて見てほしい。

「自分は、何のためにやっているのか?」

「長期的な視点」で自分の人生を良くしたり、

目標を達成するための「戦略」として、

自分を押し殺す事を選択する。

それは「戦略」なのだから、何の問題もない。

それで自分の自己評価が下がることもない。

しかし「嫌われたくないから」「怒られたくないから」

「事を荒立てたくないから」といった「問題の本質」から目を逸らすための、

「逃避」として行う場合、大いに問題がある。

それを続けていると、自分の自己評価が下がる。

「自己否定感」が強くなり、自分で自分を好きになれなくなる。

「自分を押し殺して生きること」で、何が得られたか?

「自己否定感」と「嫌な奴になった自分」だけである。

幸せな人生を生きる上で「最も重大な損失」だと言えないだろうか?

「自分にとって、大切なこと」は何か?

常に自分と向き合い、問いかけながら生きていきたい。

あなたは、もっと自由になっていい。

「今、この瞬間」出来ることはいくらでもあるのだから。

明日は明日の風が吹く。

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